九州ツアーから帰りました
昨夜遅く帰ってきました。
帰りの横須賀港からの道は疲れました。
道は狭く、合流、分岐の連続。
みなさんカーレースのように車を飛ばしている。
べんさんは目を白黒。
これからは横須賀ルートは難しそう。
21時間で新門司港に行けるけど。
晴海〜新門司港は33時間かかる。
今日は、かつての「電信電話記念日」
働いていた頃は休日ではなかったかしら。
帰って思った。
10月10日頃の方が寒かったような気がします。
19日は、日置みのり子ども劇場のみなさんにコンサートを作ってもらった。
大人のコンサート。
1部は、このところ同じプログラム。大人のコンサートは、休憩を挟んで2部は「子どもたちのSOS」「自分で」ぼくと点数」を歌った。
「自分で」のイントロを思い出せなかった。
毎日歌っていないと危ない。
まあ、仕方がないと言えば仕方がない。
40曲ほど、用意をしている。
当日のお客さんによってプログラムを変えるためだ。
間違えても、許していただく。
青年が、べんさんの歌を聴きたいとこの日と、次の日に来てくれた。
子どもの頃、奄美大島でべんさんの歌を聴いている。
お母さんのFさんがコンサートを作ってくれた。
こうした出会いは、べんさんの45年の音楽活動のご褒美。
民族芸能の「多田さん」がフェイスブックに書いてくれている。
「べんさんでなければできない」と。
うれしい言葉です。
こうしたお褒めの言葉をバネにべんさんは歌う。
20日は、薩摩川内で。
今は解散した「川内こども劇場」の子ども会員だったママさんが企画。
亡くなってしまった、彼女のお母さんは、川内こども劇場の中心メンバーだった。
べんさんは、川内では都合4回歌っている。
「べんさんのコンサートを川内で開催したい」そんな声が嬉しい。
コンサートに来てくれていた元会員の女性たちは、笑いながら泣いていた。
川内に「子ども劇場を復活させたい」が夢らしい。
支えてくれる人がいるから、きっと叶うはず。
小さな子どもたちが40人。
ケラケラ笑ってくれた。
コンサート後に食事交流。
話しながら、べんさんは来年再来年のコンサートを考える。
面白いことをしたい。
歌は今までで一番充実している。
今ならほどんどの人に満足してもらえるコンサートができる。
創作曲も含めて、すぐに歌えるレパートリーは100曲はある(時々忘れるが)。
誰も考えないような、奇抜な企画を考える。
「やっぱりべんさんだよね!」そう言ってもらえるように。
そんなことを考えながら、21日、22日と、フェリーと500キロほどを走って川越に帰宅。
頭が暖かいうちに(病気ではない)これからの企画を考える。
帰りの横須賀港からの道は疲れました。
道は狭く、合流、分岐の連続。
みなさんカーレースのように車を飛ばしている。
べんさんは目を白黒。
これからは横須賀ルートは難しそう。
21時間で新門司港に行けるけど。
晴海〜新門司港は33時間かかる。
今日は、かつての「電信電話記念日」
働いていた頃は休日ではなかったかしら。
帰って思った。
10月10日頃の方が寒かったような気がします。
19日は、日置みのり子ども劇場のみなさんにコンサートを作ってもらった。
大人のコンサート。
1部は、このところ同じプログラム。大人のコンサートは、休憩を挟んで2部は「子どもたちのSOS」「自分で」ぼくと点数」を歌った。
「自分で」のイントロを思い出せなかった。
毎日歌っていないと危ない。
まあ、仕方がないと言えば仕方がない。
40曲ほど、用意をしている。
当日のお客さんによってプログラムを変えるためだ。
間違えても、許していただく。
青年が、べんさんの歌を聴きたいとこの日と、次の日に来てくれた。
子どもの頃、奄美大島でべんさんの歌を聴いている。
お母さんのFさんがコンサートを作ってくれた。
こうした出会いは、べんさんの45年の音楽活動のご褒美。
民族芸能の「多田さん」がフェイスブックに書いてくれている。
「べんさんでなければできない」と。
うれしい言葉です。
こうしたお褒めの言葉をバネにべんさんは歌う。
20日は、薩摩川内で。
今は解散した「川内こども劇場」の子ども会員だったママさんが企画。
亡くなってしまった、彼女のお母さんは、川内こども劇場の中心メンバーだった。
べんさんは、川内では都合4回歌っている。
「べんさんのコンサートを川内で開催したい」そんな声が嬉しい。
コンサートに来てくれていた元会員の女性たちは、笑いながら泣いていた。
川内に「子ども劇場を復活させたい」が夢らしい。
支えてくれる人がいるから、きっと叶うはず。
小さな子どもたちが40人。
ケラケラ笑ってくれた。
コンサート後に食事交流。
話しながら、べんさんは来年再来年のコンサートを考える。
面白いことをしたい。
歌は今までで一番充実している。
今ならほどんどの人に満足してもらえるコンサートができる。
創作曲も含めて、すぐに歌えるレパートリーは100曲はある(時々忘れるが)。
誰も考えないような、奇抜な企画を考える。
「やっぱりべんさんだよね!」そう言ってもらえるように。
そんなことを考えながら、21日、22日と、フェリーと500キロほどを走って川越に帰宅。
頭が暖かいうちに(病気ではない)これからの企画を考える。
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