31日1日のボランティア公演
31日に、七尾から2時間半の運転で珠州市の上戸小学校。
(これまで20年前、30年前に子ども劇場で出会ったこども劇場の先輩女性4人が紹介してくれました。
30年も繋がりを持っていたのが、わが事務所の特徴なのでしょう。)
全校生徒24人とグランドに建てられた仮設住宅の方たちがお客さん。
震災で被災した上に、9月21日の大雨で床上浸水した仮設住宅のある上戸(うえど)小学校です。
テレビでも報道されたました。
コンサート前に近くの海沿いの集落に。
50軒以上の家が全て崩壊です。
10ヶ月もそのままです。
おまけに大雨の被害もあった。
ため息が出ます。
輪島も大変だったけど、珠洲市の被害も悲惨です。
上戸小学校の子どもたち、最初は神妙にしていた子どもたちが、大笑いしてくれました。
コンサートで「川越にも同じ名前の小学校があるんだよ」とべんさんが話しました。
校長先生が寄せ書きを持ってきてくれた。
「同じ名前の学校というので、川越の上戸小学校の野球チームから送られてきました」と校長先生。
「べんさんが、歌ったことのある学校です。」
みなさん驚いていた。
「今を生きる子どもたち」のうたで泣いている生徒さんも。
コロナ、震災、そして水害です。
外部のものには計り知れない苦しさがあるのだろうと。
校長先生の言葉がおかしかった。
「さすらいのフォークシンガー、たかはしべんさんです」
ちょっと変だけど、これいいかもしれない。
べんさんのキャッチコピーに!
珠州の女性4人組に、何処へでも歌いに行きますよ、と話したら、大谷小中学校へ行きましょう、と。
「中学生は2人だけだけどいいですか?」
「楽しそうなので行きましょう」
珠州市内から、崩壊したトンネルを迂回して、旧道を走り北へ15キロ。
その旧道も、工事用車両と現地の人の車しか入れない「通行止め」の道路。
現地の人だからいいのだろうけど驚いた。
さすが女性4人組。
小学校中学校一緒の学校です。
「義務教育学校」というらしい。
1年生から9年生の子どもたち。
急遽、歌わせてくれた学校の心の広さに感謝です。
中学生の2人は、7年生と9年生。
体育館で避難生活を送っている方も来てくれた。
(まだ、体育館です。本来なら10月には隣に建てられた復興住宅に引っ越す予定だったが、水害で水道が通じなくなり延期)
「ミセスロビンソン」や「ゴキブリの歌」「自分で」などを歌った。
すてきな校舎です。
学校の裏手は、海岸が4メートルも隆起した日本海。
学校の回りの集落の家は、ほとんど倒壊したため、一部の生徒さんは他の場所へ転校。
震災から10ヶ月、被災した住宅は、無人のまま解体を待つ。
解体が始まったら、洪水になって中断してしまった家も。
なんと言っていいか…。
輪島も大変だけど、復興の兆しが見えない珠洲の厳しさがもっと報道されていい。
今日、11月1日。
穴水町の神杉保育園でコンサート。
穴水町のKさんのご紹介。
やはり子ども劇場関連で。
20人の保育園。
山の中にあって、自然いっぱいの中での保育園。
木造の保育園はギターの音の響きが美しい。
小さくつまびくと、子どもたちは耳を澄ます。
これがいいねえ。
新建材では出ない音なのです。
朝のご挨拶から、子どもたちと心を通わせた。
「こんにちは!」と、何度も言ってくる。
べんさんは、「こんにちは」と低い声で返す。
それだけで大笑い。
子どもたちと遊ぶのに道具はいらない。
子どもたちは遊びの名人なのだ。
1000年ほど前に建てられた神社の敷地にある保育園。
べんさんも、もう一度子どもに戻って保育を受けたいな。
まあ、黙っていても高齢者の保育所に入ることになりそうだけど!
神杉保育園、お顔が入ってもいいですよ!と。
うれしいな!
3日間で5カ所の公演。
明日、輪島市道下第一仮設集会所で「能登げんき祭り」に出演して、車で新高岡駅に。
5日間のボランティア公演を終える。
まるでジェットコースターのような「能登やまなみ海道」を毎日走りました。
でこぼこ、急カーブ、なんともしんどい運転です。
明日は300キロ近くを運転して帰ります。
明日は雨のよう。
べんさん頑張る。
事故のないように。
(これまで20年前、30年前に子ども劇場で出会ったこども劇場の先輩女性4人が紹介してくれました。
30年も繋がりを持っていたのが、わが事務所の特徴なのでしょう。)
全校生徒24人とグランドに建てられた仮設住宅の方たちがお客さん。
震災で被災した上に、9月21日の大雨で床上浸水した仮設住宅のある上戸(うえど)小学校です。
テレビでも報道されたました。
コンサート前に近くの海沿いの集落に。
50軒以上の家が全て崩壊です。
10ヶ月もそのままです。
おまけに大雨の被害もあった。
ため息が出ます。
輪島も大変だったけど、珠洲市の被害も悲惨です。
上戸小学校の子どもたち、最初は神妙にしていた子どもたちが、大笑いしてくれました。
コンサートで「川越にも同じ名前の小学校があるんだよ」とべんさんが話しました。
校長先生が寄せ書きを持ってきてくれた。
「同じ名前の学校というので、川越の上戸小学校の野球チームから送られてきました」と校長先生。
「べんさんが、歌ったことのある学校です。」
みなさん驚いていた。
「今を生きる子どもたち」のうたで泣いている生徒さんも。
コロナ、震災、そして水害です。
外部のものには計り知れない苦しさがあるのだろうと。
校長先生の言葉がおかしかった。
「さすらいのフォークシンガー、たかはしべんさんです」
ちょっと変だけど、これいいかもしれない。
べんさんのキャッチコピーに!
珠州の女性4人組に、何処へでも歌いに行きますよ、と話したら、大谷小中学校へ行きましょう、と。
「中学生は2人だけだけどいいですか?」
「楽しそうなので行きましょう」
珠州市内から、崩壊したトンネルを迂回して、旧道を走り北へ15キロ。
その旧道も、工事用車両と現地の人の車しか入れない「通行止め」の道路。
現地の人だからいいのだろうけど驚いた。
さすが女性4人組。
小学校中学校一緒の学校です。
「義務教育学校」というらしい。
1年生から9年生の子どもたち。
急遽、歌わせてくれた学校の心の広さに感謝です。
中学生の2人は、7年生と9年生。
体育館で避難生活を送っている方も来てくれた。
(まだ、体育館です。本来なら10月には隣に建てられた復興住宅に引っ越す予定だったが、水害で水道が通じなくなり延期)
「ミセスロビンソン」や「ゴキブリの歌」「自分で」などを歌った。
すてきな校舎です。
学校の裏手は、海岸が4メートルも隆起した日本海。
学校の回りの集落の家は、ほとんど倒壊したため、一部の生徒さんは他の場所へ転校。
震災から10ヶ月、被災した住宅は、無人のまま解体を待つ。
解体が始まったら、洪水になって中断してしまった家も。
なんと言っていいか…。
輪島も大変だけど、復興の兆しが見えない珠洲の厳しさがもっと報道されていい。
今日、11月1日。
穴水町の神杉保育園でコンサート。
穴水町のKさんのご紹介。
やはり子ども劇場関連で。
20人の保育園。
山の中にあって、自然いっぱいの中での保育園。
木造の保育園はギターの音の響きが美しい。
小さくつまびくと、子どもたちは耳を澄ます。
これがいいねえ。
新建材では出ない音なのです。
朝のご挨拶から、子どもたちと心を通わせた。
「こんにちは!」と、何度も言ってくる。
べんさんは、「こんにちは」と低い声で返す。
それだけで大笑い。
子どもたちと遊ぶのに道具はいらない。
子どもたちは遊びの名人なのだ。
1000年ほど前に建てられた神社の敷地にある保育園。
べんさんも、もう一度子どもに戻って保育を受けたいな。
まあ、黙っていても高齢者の保育所に入ることになりそうだけど!
神杉保育園、お顔が入ってもいいですよ!と。
うれしいな!
3日間で5カ所の公演。
明日、輪島市道下第一仮設集会所で「能登げんき祭り」に出演して、車で新高岡駅に。
5日間のボランティア公演を終える。
まるでジェットコースターのような「能登やまなみ海道」を毎日走りました。
でこぼこ、急カーブ、なんともしんどい運転です。
明日は300キロ近くを運転して帰ります。
明日は雨のよう。
べんさん頑張る。
事故のないように。
この記事へのコメント
やってもよう!
大谷小中学校はよく知られているかも。
孤立していた海岸沿いの集落にある学校。
トンネルが崩れ、崖が崩れ、洪水で浸水と、何重苦にもなっている地域。
西の輪島へ受ける海岸沿いの道は通行止め。
家族5人が亡くなりお父さん1人が残ったという集落もその先に。
お父さんは警察官で、初めの地震の後、家を出て仕事に。
その後の2度目の地震で家族みんなが亡くなったそうです。
本当の復興とは?
「世界一美しい半島へ」地山地消文化情報誌2024春号、を買い求めました。震災以降の特集記事です。
とてもいい冊子です。いま読み込んでいます。
>とっくんさん
>
>べんさん、珠洲の義務教育学校の中学生の生徒さんは、確か、修学旅行で東京へ来て、児童生徒で作った「カプセルトイ」を販売していたのではないですか?テレビで見ました。しかも、10月中のことだったような。