べんさん、まだ生きている!
午前に、CD「ぺんぺん草みぃつけた」を一緒に作った「さく子」さんと電話でお話し。
いつも30分ほど話す。
元保育士さん。
子どもたちの今を話した。
これからの仕事を考えながら。
たくさんの人と話すことで明日が見えてくる。
午後からシゲさんと。
今は音響の仕事をしている。
40年ぶりに2時間ほど話した。
同じ川越に住んでいるが、なかなか会うことがない。
仕事上、年に一度くらい出会ってもいいのだが、出会えなかった。
彼の川越の倉庫をのぞいた。
まあまあ、呆れるほど機材を所有している。
メジャーな歌手の音響も担当している。
音響の仕事を始めて30年。
よく頑張った。
彼が、べんさんの「宮沢賢治コンサート」を覚えていて、「今こそ、宮沢賢治がいいですよ!歌わないともったいないです」と。
40年間、変わらずにいてくれたのが、なんとも感動。
「これから一緒に仕事をやりましょう!」と。
彼は、ミュージシャンの紹介などもしているらしい。
青年時代を共にしたもの同士、いま、一緒に仕事ができたら楽しいだろうな。
べんさんのことは、大体知っている。
一緒に仕事をしたいが、べんさんは、貧乏歌手。
生活に見合う仕事にはならないのが残念。
彼が30年間築いてきた仕事の関係で、新しいことができるかもしれないと、話した。
いま、歌手の活動の場は、お祭り、ショッピングモールなど営業の仕事がメイン。
そうした場所でも、べんさんは歌えるか?
楽しそうだけどね。
どちらにしても、べんさんのこれまでの仕事を、一般的な音楽シーンで広めたいと思っている。
べんさんの、こどもの歌は、どこを探してもない歌だからね。(多分!)
来年に向けて、企画書を書いてみる。
まずは、企画書の書き方の本を買ってくる!
今時、ネットで調べられるかもね。
マスコミに広げることを考えている。
45周年が、売り込むチャンスだった。
仕方がないから50周年?
宣伝は、選挙じゃないが,SNSか?
べんさんには無理だな。
最近、「べんさんはまだ歌っていたのですね」の声を多く聞く。
それどころか「べんさんは、まだ生きていたのですか?」だってさ。
これ、キャッチフレーズにいいなあ。
「べんさん、まだ歌っている。まだ生きている」どうだ!
いつも30分ほど話す。
元保育士さん。
子どもたちの今を話した。
これからの仕事を考えながら。
たくさんの人と話すことで明日が見えてくる。
午後からシゲさんと。
今は音響の仕事をしている。
40年ぶりに2時間ほど話した。
同じ川越に住んでいるが、なかなか会うことがない。
仕事上、年に一度くらい出会ってもいいのだが、出会えなかった。
彼の川越の倉庫をのぞいた。
まあまあ、呆れるほど機材を所有している。
メジャーな歌手の音響も担当している。
音響の仕事を始めて30年。
よく頑張った。
彼が、べんさんの「宮沢賢治コンサート」を覚えていて、「今こそ、宮沢賢治がいいですよ!歌わないともったいないです」と。
40年間、変わらずにいてくれたのが、なんとも感動。
「これから一緒に仕事をやりましょう!」と。
彼は、ミュージシャンの紹介などもしているらしい。
青年時代を共にしたもの同士、いま、一緒に仕事ができたら楽しいだろうな。
べんさんのことは、大体知っている。
一緒に仕事をしたいが、べんさんは、貧乏歌手。
生活に見合う仕事にはならないのが残念。
彼が30年間築いてきた仕事の関係で、新しいことができるかもしれないと、話した。
いま、歌手の活動の場は、お祭り、ショッピングモールなど営業の仕事がメイン。
そうした場所でも、べんさんは歌えるか?
楽しそうだけどね。
どちらにしても、べんさんのこれまでの仕事を、一般的な音楽シーンで広めたいと思っている。
べんさんの、こどもの歌は、どこを探してもない歌だからね。(多分!)
来年に向けて、企画書を書いてみる。
まずは、企画書の書き方の本を買ってくる!
今時、ネットで調べられるかもね。
マスコミに広げることを考えている。
45周年が、売り込むチャンスだった。
仕方がないから50周年?
宣伝は、選挙じゃないが,SNSか?
べんさんには無理だな。
最近、「べんさんはまだ歌っていたのですね」の声を多く聞く。
それどころか「べんさんは、まだ生きていたのですか?」だってさ。
これ、キャッチフレーズにいいなあ。
「べんさん、まだ歌っている。まだ生きている」どうだ!
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