東京大空襲・戦災資料センターでの巡り合い

とっくん、カズさん、フォークソングは下手でいいのだ。
宮沢賢治が言っていた、「アマチュアこそ文化の主人公」(ちょっといい加減だな、遊心さん、どういう言葉だったかな?)
土星はどこかな?
星図で調べてみよう!



今日、一度、尋ねたいと思っていた「東京大空襲・戦災資料センター」に出かけた。

江東区北砂にある「公益財団法人政治経済研究所附属」という法人組織。
故早乙女勝元さんが尽力された「東京大空襲を記録する会」が2002年に設立。

秋葉原駅からバスに乗り40分弱、北砂1丁目バス停で下車、徒歩1分。
こじんまりした資料館。


毎年、出演している、「東京都ふれあい子ども祭り」(今年は3月22日14時から)
今回も亀戸駅そばのカメリアホールで歌う。
今年は「親と子の平和コンサート」にした。


その取材に今日「戦災資料センター」に出かけた。
多くの戦災の書物、そして資料。
これまで学んだ東京大空襲が、まるで違ったものに見えた。


終戦の年、1945年(昭和20年)3月10日になったばかりの未明0時8分に米軍機B29、300機による空襲。
わずか2時間半の空襲で10万人が焼け死んだという悲惨な戦災。

東京都の東側、隅田川と荒川に挟まれた地域、
今で言う、江戸川区、墨田区、台東区、江東区あたり。
東西南北に4発の大きな爆弾を落とし、円状に火災を起こし、その円状の中を、さらに焼夷弾で焼き尽くした。

比較しては申し訳ないが、被曝した広島の何倍もの焼け野原だ。
その写真を見て改めて戦争の悲惨さを感じた。


今回、べんさんが知りたかったのは、コンサート会場のある亀戸駅周辺の被災だ。

川越の図書館での本、戦災資料センターでの本、短い時間では文献を探し切らなかった。
だが、ここでもべんさんは「イタコ効果」。


展示資料を見学していたら、ちょうどボランティアの講師の方が、いらっしゃった。
見学の趣旨を話すと、奇跡のような話なのだが、その方が亀戸の駅のそばで空襲にあったとのこと。
その体験を話ししてくださった。

小学2年生の時、夜中に起こされて、家族で炎の中を逃げ惑った。
家族と離れ離れになって、気がついた時は黒焦げの死体の中。
自分に覆いかぶさっていた亡くなった人たちのおかげで生き残った。
その場所が、今の亀戸駅前の交差点の辺りだったと。

お聞きしたのは二瓶治代さん。
二瓶さんが共同執筆している本を買い求めてきた。

「あのとき子どもだった」東京大空襲21人の記録
東京大空襲・戦災資料センター編 績文堂出版

これからじっくり読んでみる。
悲惨な体験で、読むのに、心の体力が必要だ。

「実際に、この悲惨な体験した人がいたのです。せめて読む勇気は持ってください」
戦争を描いたロシアの映画監督の言葉。

この記事へのコメント

とっくん
2025年01月26日 10:42
べんさん、イタコのべんさん、本領発揮だ。人を引き付ける力があるね。そして、人をつなぐ力を発揮するのも、イタコのべんさんだ。
遊心2
2025年01月28日 06:55
べんさん、宮沢賢治のことなら、生き字引の遊心にお任せ下さい。

上記の言葉は多分、農民芸術概論綱要に記載されているつぎの文章のことでしょう。

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農民芸術の産者

------われらの中で芸術家とはどういふことを意味するか------

職業芸術家は一度滅びねばならぬ

誰人もみな藝術家たる感受をなせ

個性の優れる方面に於いて各々やむなき表現をなせ

然かもめいめいそのときどきの芸術家である

創作自ら湧き起こり止むなきときは行為は自づと集中される

そのとき恐らく人々はその生活を保証するだろう

創作止めば彼はふたたび土に起つ

ここには多くの解放された天才がある

個性の異なる幾億の天才も併び起つべく斯て地面も天となる

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いやあ、さすがに宮沢賢治の文章は格調が高いですね。