昔の同僚宅へ

東京大空襲から80年。
日が変わった0時7分から2時間半、米軍が下町を爆撃。
東京は焼け野原に。
10万人が亡くなり、100万世帯が家を失った。

その時間、0時7分に亀戸に行きたいと思っていたが、断念。
新曲「みんな同じバスに乗って」の創作で疲労困憊。
諦めました。
最終的に昨日完成しました。
みんなで歌える曲になった。


東京大空襲を取材、新曲を創る予定でした。

だが戦争や平和の歌は、難しい。
聞き手の子どもたちには「あの時代は大変だったね。今は平和で良かった」で終わってしまう。
現在、未来につながらないのです。
それが悔しかった。


新曲「みんな同じバスに乗って」は、それを乗り越える歌になりました。
どうしても、今の歌にしたかった。
それが実現したように思います。


べんさんは、いつ倒れるかわからない。
毎日を大切にしたい。
1回1回のコンサートを大成功させたい。
多くの人に歌を聴いていただきたい。
みなさんをお誘いしたい。

そのためには、べんさん自身の姿勢が大切。
それは新曲を創ることだったのです。
「みんな同じバスに乗って」で結実。


フェイスブック、ブログでお誘いしています。
効果が少しずつ現れています。
もうすぐ満席。といっても50名ですが。

都内でも1000名のお客様を迎えたいが難しい。
べんさんの歌はいいのだけどね。


さあ、あと2週間、悔いのないように広報します。
1部は子どもたちへ。2部は「おやと子の平和のうた」です。


話は変わって。
今日、電電公社時代の人たちと会いました。
べんさんの大先輩Nさん宅を、同僚だった4人で訪ねました。

Nさんには、しばらく会っていないと聞いたので、わたくしが誘いました。

「べんちゃんが、こうして歌ってくれているから再会できた!」と喜んでもらえた。
今までも、他でよく言われます。
「べんさんが歌っているから、昔のつながりが残っている」と。
人に役に立つのは嬉しい。

2時間以上、昔話に花が咲きました。
嬉しかったのは、Nさんの娘さんが(と言っても50歳代)同席してくれたこと。
お付き合いでいてくれたのかと思ったら、「いま話していた人を、みんな知っていますよ」と。
驚きました。
昔は、家族ぐるみで交流していたからね。
「家族ぐるみ」を取り戻さないと、人生が寂しくなる。
思い出が共有できるのが喜びだと思うのです。

あの人の話、この人の話、どんどんと蘇る。
脳が活性化されました。
いいものですね。

この記事へのコメント

とっくん
2025年03月10日 20:54
べんさん、昔の同僚や先輩から、べんさんの歌手人生を肯定していただくような言葉をもらったのですね。素晴らしい!