草薙さんのギター
昨日、所沢の古書店、素顔舎の故草薙實さんの娘さんがきてくれた。
40年前に草薙さんから頂いたギターをお返ししました。
当時「とりあえず預かっておきますね」と草薙さんに話してました。
40年経って、やっとご家族に。
ギターの製作者の名前と、「草薙實氏に製作」と書いてある。
ギターの素材はハカランダ。
今は、ワシントン条約で売買が禁止されている高級な木材です。
どうしたものかと。
ネットの検索でこのブログを知り、ギターの存在を知ったようです。
やっと長年の宿題が終わりました。
一つのドラマです。
歌にならないかしら?
「父の形見がほとんど残ってないのです。うれしいです」と涙されていました。
べんさん、いいことしたみたいです。
公表が未許可のためマスクで。

わたくしたちは、長い人生の中で、大切なものを見落とすことがある。
何気ない日常の出来事の中に、小さくとも人生の喜びがある。
その喜びを、みなさんと共に分かち合いたい。
べんさんは、長く生きている。
そして創作活動に中で、小さな喜びを探す努力をしている。
針小棒大と言われるかもしれない。
でも、それでいい。
誰の迷惑でもない。
人生の喜びを広げていく作業なのです。
昨日のさくくんは「しあわせの種」を全部歌えるそうです。
彼の歌声に会場のお客さんは涙でした。
さくくんは、わたくしが他の歌を歌う時は、持ってきたウクレレをわたくしの歌に合わせて弾いていました。
わたくしをにこにこと見ながら。
他の人が聞いたら、なんてことのないシーンかもしれない。
でも、私には、これまでの音楽活動に確信を持てた時間だったのです。
何気ない子どもの動作に、子どもの成長を感じられるようになろう。
そして、子どもの何気ない小さな成長が見えるようになったら、親も成長しているのです。
40年前に草薙さんから頂いたギターをお返ししました。
当時「とりあえず預かっておきますね」と草薙さんに話してました。
40年経って、やっとご家族に。
ギターの製作者の名前と、「草薙實氏に製作」と書いてある。
ギターの素材はハカランダ。
今は、ワシントン条約で売買が禁止されている高級な木材です。
どうしたものかと。
ネットの検索でこのブログを知り、ギターの存在を知ったようです。
やっと長年の宿題が終わりました。
一つのドラマです。
歌にならないかしら?
「父の形見がほとんど残ってないのです。うれしいです」と涙されていました。
べんさん、いいことしたみたいです。
公表が未許可のためマスクで。
わたくしたちは、長い人生の中で、大切なものを見落とすことがある。
何気ない日常の出来事の中に、小さくとも人生の喜びがある。
その喜びを、みなさんと共に分かち合いたい。
べんさんは、長く生きている。
そして創作活動に中で、小さな喜びを探す努力をしている。
針小棒大と言われるかもしれない。
でも、それでいい。
誰の迷惑でもない。
人生の喜びを広げていく作業なのです。
昨日のさくくんは「しあわせの種」を全部歌えるそうです。
彼の歌声に会場のお客さんは涙でした。
さくくんは、わたくしが他の歌を歌う時は、持ってきたウクレレをわたくしの歌に合わせて弾いていました。
わたくしをにこにこと見ながら。
他の人が聞いたら、なんてことのないシーンかもしれない。
でも、私には、これまでの音楽活動に確信を持てた時間だったのです。
何気ない子どもの動作に、子どもの成長を感じられるようになろう。
そして、子どもの何気ない小さな成長が見えるようになったら、親も成長しているのです。
この記事へのコメント
べんさんの言うように、しあわせは身の回りにたくさんあるんだと思います。それをしあわせと感じるか、そうでないかは、その個人の置かれている環境にもよるとは思います。僕はできるだけ、小さなしあわせを感じられるような日々を送りたいです。
私は約45年前に角川文庫で草薙實さんの「限りある日を愛に生きて」「続・限りある日を愛に生きて」を読んだ60歳女性です。
私が7歳の夏に母が闘病半年の末、35歳で病没しました。私の父はまもなくお見合い結婚し翌年には弟が生まれ、新しいお母さんは兄と私を含め3人の子を育ててくれました。
後年、草薙さんにファンレターを出してご丁寧にお返事をいただいたことがあります。
その時、草薙さんが再婚して娘さんも生まれたことを知りました。
それから平成元年秋、草薙さんは手術前の声が出るうちにと今度は電話をくださいました。私の結婚に際しお祝いの言葉と、母へこれまで私を育てた労いの言葉をかけてくださったのです。普段物静かな母が思いがけず労いの言葉をいただいて感激していたことを今、思い出しています。
その後の草薙さんの消息を探して先日、久しぶりに検索したところべんさんのブログに名前を見つけて驚きました。
草薙さんはあの手術を乗り越え生きて、数年前に天寿を全うされたのですね。
私を育てた母も7年前の夏に84歳でこの世を去りました。
べんさんのブログにあった娘さんの顔が目元は隠れていても
べんさん、初めまして。
私は約45年前に角川文庫で草薙實さんの「限りある日を愛に生きて」「続・限りある日を愛に生きて」を読んで、人生で大切なことを学んだ60歳女性です。
私が7歳の夏に母が闘病半年の末、35歳で病没しました。遺言通り、父はまもなくお見合い結婚し翌年に弟が生まれ、新しいお母さんは兄と私を含め3人の子を育ててくれました。
後年、草薙さんにファンレターを出してご丁寧にお返事をいただいたことがあります。
その時、草薙さんが再婚して娘さんも生まれたことを知りました。
それから平成元年の秋、草薙さんは舌がん手術前の声が出るうちにと今度は電話をくださいました。私へ結婚祝いの言葉と、母へこれまで私を育てた労いの言葉をかけてくださったのです。普段、物静かな母が感激していたことを今、思い出しています。
その後も消息を求めて先日、久しぶりに検索したところべんさんのブログに草薙さんの名前を見つけて驚きました。
草薙さんはあの手術を乗り越え生きて、数年前に天寿を全うされたのですね。
私を育てた母も7年前に84歳で亡くなりました。
ところで、べんさんのブログにあった娘さんの顔、目元が隠れていても若い頃の草薙さんにそっくりです。ご事情はあったと思いますが、形見に素直に涙する姿は情の厚いお父さん譲りです。そしてやっと昨日の朝YouTubeでべんさんの歌を聴くことが出来ました。
一度聴いたら忘れられない題材。お客さんを見ながら展開するライブは人生応援メッセージに溢れています。そんなべんさんが知った素顔舎が文化人の溜まり場で、そこに幼い娘さんもいた。良い思い出ですね。草薙さんは夢が叶った場所の空気を娘さんにも感じて欲しかったことでしょう。
大人も子供も混じった空間といえばべんさんのコンサート会場もそうでしたね。ギターを渡した草薙さんと、大切に預かってきた今日のべんさんとが繋がって、娘さんに引き継がれた物語を私も読むことが出来て幸せな気持ちになりました。
現代風に言えばステップファミリー、我が家もそうですが家族それぞれ苦労があって、それでも立派に育った娘さんを草薙さんも喜んでいることでしょう。娘さんの今後の幸せと故人への感謝を心からお祈りします。
べんさん、6月のコンサートはあいにく仕事で行かれませんが、べんさんの歌を必要としている多くの人に届くよう、ご活躍を願っています。
ありがとうございました。