帯広から滝川に

柏林台幼稚園コンサート。
たのしく、べんさんらしいコンサートに。
べん「べんさんは、アフリカや阿品の国でたくさんの世界中で子どもたちと出会ってきました。」
子ども「ぼくね、シンガポールに行ったんだよ」
べん「そうか、すごいな!べんさんなんかもっとすごいぞ。もうすぐ天国に行くんだぞ!」
子どもたちはポカンとしていて、おとなたちは大笑い。

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「もうすぐ行くのは、地獄かもしれないよ!」
誰かの声がして。

昼食をババールの萩原さんと森田と、帯広駅近の「USAGIYA」で。
美味しかった。おすすめ。

2人とは別れてべんさんは滝川へ。
相変わらず、ルーツ探し。
祖父祖母のお墓を探す。
赤平市茂尻の赤平墓地。

途中の芦別で故郷の頼城に立ち寄る。
驚いたのは。
エゾシカだらけ。
人口より鹿の方が多い。

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廃屋も多くて、胸が痛む。
年齢を重ねて、より感受性が増したのだろう。
新しい歌を作るつもり。
今年中には炭鉱の歌を。

今日は朝から大忙し。
赤平の図書館で2時間ほど情報入手。
市役所で墓の話を聞き、赤平市茂尻の墓地へ行く。
その後、近くの曹洞宗のお寺さんを訪ねた。

わかったこと。
「わからないということがわかった。」

赤平市の墓地は、昭和40年頃までは、茂尻炭鉱が管理。
その後、赤平市に移譲された。
40年代に調査した時に、調べた墓の図面が名入りで保存されてあったが、やはり祖父祖母の名はない。

茂尻炭鉱は大正7年開坑し、他の会社に渡りながら昭和40年代に閉鉱している。
祖父の晩年と付合する。
「祖父、祖母の墓は土砂に流されてわからなくなった。」と母から聞いていた。
本当に、急な山の斜面に墓が点在していた。
そのうちの、かなりの墓が朽ちていた。

「熊が出るので気をつけてください!」
役所の方に言われました。
墓地の下の駐車場にあった桶と柄杓でドンドンと叩きながら(管理者様、申し訳ない)山を少し登った。
熊がわたくしを怖がるといけないので「森のクマさん」を歌って登った。

郷愁なのか、ジーンとくるものがあった。
供養のために、斜面の土を少しいただいてきた。

お寺さんでは、詳しいことはわからなかったが、その頃の炭鉱では、炭住の家で葬儀をしたと先先代から聞いていると。

そのあたりのことをもう少し調べたいが、そこまでで終わった。
探偵になったみたいで楽しいが、茂尻はここまでかもしれない。

夕方、滝川おやこ劇場の事務所で子どもさん3人、大人4人で交流。
2時間、楽しく過ごしました。
いい話がたくさん聞けました。

べんさんの孫みたい!
「ひ孫でしょう?」

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さあ、明日は親戚を2軒訪ねる。
丸太をいただけるという嬉しい情報もあって、札幌経由で苫小牧に。
船で明後日に帰宅予定。
6月の北海道は最高!

この記事へのコメント

とっくん
2025年06月14日 13:45
べんさん、故郷でのルーツ探し、いいね。
鹿や熊とお友達になれるのも、いいね。