比較三原則


非核三原則という言葉がある。
核兵器を「持たず」「造らず」「持ち込ませず」
日本の基本法方針だ。
「いま、「持ち込ませず」が危ない。
なにしろアメリカが持ち込んでも、国家機密だから、国民にも秘密なのだ。


不登校の子どもたちが増えている。
べんさんはふと、「比較三原則」を思った。

子どもたちは、幼稚園、保育園まではいきいきとしている。
小学生になると、生きにくくなるようだ。

それは誰かと比較されてしまうからではないか?
家族の中でお兄ちゃん、おねえちゃん、兄弟での比較。
学校で生徒同士の比較、先生の生徒への比較。
地域での比較。

家庭、学校、地域。
これが比較三原則だ。


比較されることによって、子どもたちは傷つく。
できない自分は余計な人間ではないかと思ってしまう。

幼児の時はあんなに元気で、心豊かで、天才と思えた子どもさんが、小学校に通うと、ただの子どもになってしまう。

べんさんも、そんな子どもだった。
だから、人と比較されるところには近寄らなかった。
自分は他の誰でもない。自分は自分でいいのだ。
そう自分に言い聞かせないと、それほど力のないべんさんは、自分の力を発揮できないまま人生を送ってきたことだろう。

べんさんは、べんさんらしく生きてきたから、たくさんのべんさんらしい歌を作ることができたのだ。

子どもたちは、心のどこかで、べんさんと同じような思いを感じている。
それを言葉にはできないから登校を拒否する。

べんさんの子ども時代は、遊びの中に、地域での子どもたち同士の社会があった。
子どもたちで、知らず知らずに助け合っていた。遊びが大きな役割を作り出した。


そんなことを感じている。


片方で、比較によって人は成長するのも事実だ。
自分も、もう少し頑張ろうと思うからだ。

整理して、もう少し考えてみる。
論文だな!

だれか考えてくれたら嬉しい。


「それにつけても、おやつはカール」
このコピーいいなあ。
誰が考えたのだろう?

「それにつけても子どもには遊び」

この記事へのコメント

とっくん
2025年10月30日 05:29
べんさん、確かにそうだ。他者との比較に苦しむことって、たくさんある。
自分は自分でいいのに。
でも、比較により、頑張れることもあるのも事実。バランスなんだろうなあ。